ヨギニの日記

南インドでボランティア生活をしています

否定的なことは沈黙で答えるべし

忘れないように自分用メモとして書いている。

 

昨年の12月、長期ボランティアの申請を始めた。2〜6ヶ月ほどかかると最初から言われていたので、4ヶ月ほどでインドに入国できたのは、普通だと思う。コロナの影響も考慮すると奇跡的なのかもしれない。

 

この手続中に気づいたことがある。

南インドでは、『否定的なことを沈黙で伝える』、傾向があることに気づいた。

 

一回目の経験:

最初にボランティアの希望先を選んで伝えると。2週間音沙汰なしだった。何かあったのだと思い、聞いてみたけれど、数日間返事が来なかった(沈黙)。おそらくその時に選んだ希望先が、わたしの応募に興味を持たなかったのだと想像する。

 

率直なフィードバックをしてくれると、他の選択肢も考えるから、ありがたいのに.と思った。 でも、沈黙中に先方は異なった対応を考えてくれていたようで、その配慮に感謝している。

 

最初に断られたおかげで、わたしにとってベストだと思われる受け入れ先がその後見つかった。

 

二回目の経験:

ボランティア申請に提出する規定のエクセルファイルを自分の申請にあうようにフォーマットを変更した。 「フォーマットを変更しましたよ」、と自己申告して、提出時には何も言われなかったのに、2週間ほど経って、”第三者の関係者(外国人)”から、フォーマットは変更しないようにと伝えられた。

 

相手を傷つけたくないという、配慮は理解できるが、これくらいのことは直接伝えてくれてもいいではないでしょうか?

 

三回目の経験:

ボランティア受け入れ先が決まったとき、ヴィザ申請に必要な個人情報を記入したフォームを送った。 二週間ほど、またコミュニケーションが途絶え、相手は沈黙。きっとまた何か起きたのだと想像して、何気なく知らぬふりをしてメールできいてみた。

 

『コロナロックダウン中は、外国人には長期ヴィザの発給はしない』、という方針であるということが、インド人担当者以外の関係者(外国人)から伝えられた。

 

なぜこういう大切なことを直接応募者の本人に伝えてくれないのだろうか? 

 

今回は例外的にヴィザを発給してくれるよう努力してくれた受け入れ先のおかげで、わたしはインドに入国できた。

 

こういう習慣ができたということは、否定的なことにショックを受ける方たちが多いということなんだろう。 または相手を傷つけたくない。 インドには、アヒムサ(非暴力)というヨガの教えの一つがある。物理的な暴力は、当然避けなければならないし、”言葉の暴力”にも気をつけなくてはいけない。

 

この『沈黙』カルチャーは日本にもあったと思うが、そういうことに鈍感なわたしはあまり気にしてなかった。

 

世の中の現象は、表面的には否定的でも、経験的には必ずしも否定的ではないことも多い。 必要があって起きていることがある。

 

これからも『沈黙で伝える』現象がまた起きるだろうから、この気付きは貴重なので、忘れないようにメモしておきたい。 

 

こういうことがわかるようになったということは、わたしも多少は敏感になったかもしれない。